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藍ちゃんが、もしデビュー当時から
スーパースターじゃなかったら……?

文/大泉英子
(ゴルフトゥデイ編集長)

私が初めて藍ちゃんに会ったのは、彼女が米ツアーのシード権を獲得し、本格参戦1年目となる2006年の開幕戦「SBSオープン@タートルベイ」。
当時、すでにスーパースターだった彼女は、私を含む大勢のメディアに周囲を取り囲まれ、一挙手一投足が注目されて、ちょっとした出来事でもニュースになった。囲み取材の時の受け答えはとてもしっかりしていて、うっかり発言などは一度も聞いたことがない。凛とした芯の強さ、聡明さがにじみ出ており、若い選手なのにすごいな、と思った。まるで大きな可能性を秘めた、尊い宝石の原石のような印象。目がキラキラしていて、なんでも見透かされてしまうような澄んだ瞳で見つめられると、質問する私たちの方が、迂闊におかしな質問をしてはいけないな、バカなことを聞いてはいけない、と緊張感が走ったものである。

今でこそ流暢に英語で外国人記者の質問にもスラスラ答える藍ちゃんだが、デビュー当時、父・優さんがこんなことを言っていたのを思い出す。
「藍が一人で英語で外人記者の質問に答えられるようになり、選手たちと自然に会話ができるようになったときに、彼女は試合で勝てるようになり、メジャーでも優勝争いができる位置にいられると思う」

その後、実際、優さんの言う通りになった。常に通訳を介して記者の質問に答えていた藍ちゃんが、いつしか簡単な会話は自分で答えるようになり、そのうちネイティブも顔負けなくらい、きれいな発音で堂々と外国人選手やツアー関係者たちと渡り合うようになっていった。英会話力が向上するにつれ、海外選手の中に自分の居場所を作ることができるようになり、居心地の良さが好成績を生むようになっていったのだと思う。



私は海外選手の取材も当時は多く手がけていたが、年に1~2回かしか米女子ツアーの取材に行かない私を多くの海外女子トッププロたちが温かく迎えてくれ、取材に協力してくれたのも、彼女たちのやさしさからだけではなかったような気がする。藍ちゃんが日本人選手として米国でしっかり実績を残し、世界No.1までのぼりつめ、一人の日本人としてみんなからリスペクトされていたから、日本人の記者である私にも敬意を払ってくれ、友人として迎えてくれたのだろうな、と思う。実際、取材の合間に彼女たちから何度も藍ちゃんに対して「アイはすばらしい人よ。私たちもみんな彼女が好きで、尊敬しているわ」と口々に語っているのを聞いたものだ。いずれにせよ日本人で世界ランクNo.1になったことのある選手は、男女通じても今のところ藍ちゃんだけであり、彼女は世界の強豪からライバルとしてリスペクトされていたことは間違いない。そしてそんな彼女がメジャーなどで優勝争いをしているのをロープ内で取材していた頃は、同じ日本人として、自分のことのように誇らしい気持ちでいっぱいだった。

世界で戦い、その頂点を極めるために、並々ならぬ努力と強靭な精神力が必要だったことだろう。しかし、引退後は一息ついて、藍ちゃんの第二の人生を謳歌していただきたい。女性として、一人の人間として、今までできなかったことを思い切り楽しんで欲しいと願っている。

最後に、私が藍ちゃんとのことで心残りに思っていること。それは、彼女が最初から超スーパースターだったゆえ、何かずーっと壁のようなものを感じていたことだ。たいていのプロは、日本人だろうと外国人だろうとすぐにお友達になってしまうのが、私のスタイルなのだが、なかなかそうもいかない雰囲気があった。腹を割ってバカ話などを私としたいかどうかは別として、もしチャンスがあったら気楽に海外のイケメン談義でもお願いしたいところである(笑)。

大泉英子

ゴルフトゥデイ編集長
主に国内男子ツアー、海外ツアーの取材を担当し、日米を行ったり来たりの日々。イケメン好きのO嬢として、誌面に登場。