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その圧倒的な目ヂカラは
レンズ越しにも
引き込まれそうでした

文/村上航 
(パーゴルフ フォトグラファー)

ジュニアのころから
ずっと変わらない雰囲気

高校3年生のときにアマチュアでツアー優勝を飾り、日本中が“藍ちゃんフィーバー”に包まれましたが、パーゴルフはゴルフ専門誌ということもあって、それ以前から注目して取材する機会がありました。これは私が初めて東北高校に伺ったときの一枚。試合中はレンズに目線をもらうことはないので、目線をもらってとにかくその目ヂカラに、緊張感を覚えました。高校の応接室に、“よろしくお願いします”と一礼して入ってきた宮里プロ。世界ランキング1位にまでのぼっても、われわれマスコミに対する礼儀正しさはこのときと少しも変わらないのは本当に尊敬します。

日の丸を背負った表彰式に
“日本代表”を感じた

2011年、エビアンマスターズ(現エビアン選手権)で優勝したときの一枚です。海外の試合に撮影に行く機会は年に数回、さらに日本人選手が優勝する場面に立ち会えるチャンスなんて、そうそうありません! 18番グリーンから表彰式までとにかく夢中でシャッターを切りました。当時はまだゴルフはオリンピック競技ではありませんでしたが、私は宮里プロをずっと“日本代表”だと思って撮影していました。そんな宮里プロが日の丸の前で優勝カップを掲げる、その姿がとても気に入っています。

カメラ1台を犠牲にして!? 撮影した、自然の神秘

宮里プロはパーゴルフの連載で、2年にわたり“ビジョン54”のメソッドを紹介してくれました。その連載で使うショットやパットの写真を撮影するため、2013年3月、“ビジョン54”の拠点、アリゾナでのRRドネリーLPGAファウンダーズカップに行きました。その3日目、突然ものすごい雷雨、そして雹が降ってきて、試合は中断に次ぐ中断……。カメラが一台壊れてしまい途方に暮れていると、宮里プロの真後ろに大きな虹がかかりました。実はときどき雨上がりの虹に遭遇することはあるのですが、これほどはっきり、近くに感じたことはありません。

“明るく元気でさわやか”
だけではない魅力

米LPGAツアーに主戦場を移してからも、宮里プロは毎年、年末か開幕直前、パーゴルフのために独占インタビューの時間を取ってくれました。その撮影を担当する機会が何度かあったのですが、その中で最も気に入っている一枚です。“明るくてさわやかで、いつも元気な藍ちゃん”が誰もが持っている宮里プロのイメージだと思いますが、20代最後の一年を迎える年に少し大人っぽい表情を見せてくれた瞬間です。残念ながら、インタビューのイメージに合わず、誌面では使われませんでしたが…。

ギャラリーが多いほど決めるときは決める!

日本での最後の試合となった、今年のサントリーレディスオープン。引退発表直後とあって、本当に多くのギャラリーが宮里プロの組を取り囲みました。最終日の18番ホール、4メートルのパーパットをしっかり決め、ギャラリーの声援に応えたシーンです。宮里プロはプロ入り後初めてフル参戦した2004年、故郷・沖縄でのダイキンオーキッドレディス、所属契約を結ぶサントリーが主催するこの大会と、期待が大きい試合で立て続けに優勝しています。ボールがカップに吸い込まれた瞬間、そんな“スター性”を改めて感じました。

12年ともに戦った二人が初めて心を見せ合った

プロとしてのキャリアを終えた、今年のエビアン選手権でのベストショットは、予選会からずっとキャディを務めてきた、ミック・シーボーンさんとのハグを選びました。アメリカでの選手とキャディは、ゴルフ場でのビジネスライクなつきあいに限られることがほとんどなイメージです。でもこの日、ミックさんはアテストルームの前で、宮里プロが仲間や関係者たちとあいさつを終え、やってくるのをじっと待っていました。そして宮里プロはミックさんを見つけると、駆け寄ってハグ! いつも冷静な二人が感謝の言葉を口にしながら感情を爆発させている姿は、見ているこちらもグッときましたね。

村上航

パーゴルフ フォトグラファー
1972年埼玉県出身。東京ビジュアルアーツ卒業後、スポーツ写真のフォトグラファーとして活動を開始。1998年よりパーゴルフのカメラマンとしてツアーを中心に担当。