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ありがとう、宮里 藍。

文/伊藤一浩 (グローバル ゴルフメディア グループ株式会社)

2005年秋、日本女子オープンゴルフ選手権最終日、私は横浜市の戸塚カントリー倶楽部にいた。宮里藍を目の前で見るのはこのとき初めてだったが、あの日のことは忘れることができない。彼女は2003年のミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで高校3年生ながら、史上初のアマチュア優勝を果たし、数日後にプロ宣言をしてプロゴルファーになった。以来、「藍ちゃん」の愛称で親しまれ、日本中のファンやマスコミから注目を浴び続けてきた。

この日も初日からの首位を守り、完全優勝で初のメジャータイトルを獲得するが、彼女の優勝シーンをひと目見ようと、過去にない程のギャラリーがトーナメント会場に押し寄せていた。会場は表彰式後も熱気が冷めやらず、辺りが薄暗くなってもサインを求める子どもたちの長い列が続いた。それにも嫌な顔ひとつ見せず、延々とサインに応え続ける宮里藍の姿は、薄暮に浮かび上がる月のようだった。この時の光景は今でも脳裏に焼き付いている。

アルバトロス・ビュー446号 2005年10月13日発売号より

翌年4月、弊誌アルバトロス・ビューで『漫画レッスン宮里道場』の連載が始まる。宮里3兄妹をプロゴルファーに育てた宮里優氏が指導するレッスン漫画だ。当時担当だった私はこれをきっかけに宮里家ウォッチャーとなり、よく優さん、奥さまの豊子さんと一緒に聖志プロ、優作プロの応援に出かけた。中でも忘れられないのが優作プロの初優勝シーンだ。2013年のゴルフ日本シリーズ、彼は3日目を終えて、2位に3打差の首位に立っていた。3日目のテレビ中継終了後、優さんに電話を掛け、応援に行こうとお誘いしたが沖縄でテレビ観戦をするという。代わりに豊子さんが会場にいるので一緒に応援してくれと言われた。翌日、そのつもりで東京よみうりカントリークラブに行ってみると、驚いたことに、そこには優さん、豊子さん、そして藍ちゃんまでが勢揃いしていたのだ。前日、私の連絡後、「勝てなくてもいいから応援に行こうよ、私も行くから」と藍ちゃんからの電話があったらしく、優さんは取るものも取らず飛行機に飛び乗ったそうだ。さすが、愛娘の言葉は強い。

最終日、優作プロは最後までハラハラさせてくれたが、劇的なチップインで待望の初優勝を飾った。この日、優さんは待ちわびた優作プロの初優勝を見届け、3兄妹すべての初優勝に立ち会うことができた。もしかすると藍ちゃんは兄の優勝を予感し、優さんを呼び寄せたのではないか。いずれにせよ、宮里藍は人と人を繋ぐ不思議な力を持っていると感じた。

ふたりの兄を追いかけて4歳から始めたゴルフ。アマチュア時代から素晴らしい成績を残し、彗星のごとく18歳でプロになった。彼女の背中を追いかけて多くの後輩たちが続き、女子選手に留まらず男子の中にも宮里藍に憧れ、尊敬する者が多い。そんな彼女が駆け抜けた15年のプロゴルファー人生は、日本だけでなく世界の人々に愛されるものだった。一般的には早い引退と言えるかもしれない。しかし、長さではなく彼女の残した素晴らしい成績や数々の功績を讃えたい。今は体を休めながら、これからの人生をゆっくりと考えてほしい。

多くの人に勇気や感動、夢を与え続けてくれた、プロゴルファー宮里藍に感謝。

伊藤一浩

グローバル ゴルフメディア グループ株式会社