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藍との12年間について

文/Karrie Webb 
カリー・ウェブ

藍と初めて会ったのは2005年ANZレディースマスターズ。LPGA本格参戦前のこの試合にはたくさんの日本メディアと日本人ファンが集まり、若きスターの応援に盛り上がっていました。将来日本女子ゴルフ界を牽引する存在となる宮里藍の話は、初対面前から耳に入ってきていました。アマチュア時代に残した輝かしいパフォーマンスが後押しして、この年にプロデビューを果たした宮里藍の注目度は驚くべきものだったと記憶しています。

主戦場をアメリカに移したことで、当時、藍は英語を習得することに一生懸命でした。一緒にディナーをするたびに、分からない単語を出して「これはどういう意味?」と聞いて、意味をメモ。その繰り返しで様々な言い回しができるようになっていきました。彼女は私のことを「ウェブ先生」と呼んでくれていました。時には自宅近くでトーナメントが開催された時に何度か彼女をホームパーティーに招待したのですが、初めて彼女が来たときには私の両親も参加していて、藍のためにたくさんの交流の場を取り持つことができて、私もうれしかったです。(そのパーティーでは旬を迎えていた「ストーンクラブ」という蟹を振舞ったら、藍は食べたことがなかったらしくとても喜んでくれたのを覚えています。)今では不自由なく英語を話せるようになったけど、言葉の壁だけではなく、「LPGAで成功したい」日本人ファンやメディアを喜ばせたい」という様々な気持ちも大きなプレッシャーになっていたのではないかと思います。

2007年ミズノクラシックの週に藍と一緒に食事をしたのですが、日本人選手としてたくさんのメディアに囲まれるというプレッシャーに加えて、なかなか成績がついてこないことを藍は話してくれました。すると、藍が初勝利する前に他の日本人選手がその週LPGA初勝利を挙げてしまいました。藍は、友人としてその優勝者を祝福したのですが、自分が優勝カップを手にできなかったことをとても悔しがっていました。優勝セレモニーに参列している時、私は彼女に「これは藍にとって最高の出来事よ。これで今、藍にのしかかっているプレッシャーが分散されていくじゃない」と伝えました。この一言が彼女を少し楽にし、またモチベーションを上げるきっかけとなって、その後いくつもの優勝に導いたのではないかと思っています。

藍の引退のニュースを聞いた時、実はそんなに驚きませんでした。ただ、LPGAファミリーの一員ではなくなってしまうことはとても寂しいと思います。でも、しばらく休んでリフレッシュした後にはまたゴルフ業界に戻ってきてくれると信じています。一番重要なのは、藍が人生の次のステージをエンジョイできること。トーナメントの舞台から離れても、また必ず会えることを楽しみにしています。

Karrie Webb カリー・ウェブ

オーストラリア出身・通算ツアー勝利数48を誇る名選手。
宮里藍が「ウェブ先生」と慕い、尊敬する選手であることでも知られている。